天才と努力家のお話

 

こんにちは。

突然ですが皆さん、天才ってどんな奴だと思いますか?

漫画とかで出てくる天才というやつは、生まれつき能力が高くて、なんでもそつなくこなしているイメージがあります。

 

じゃあ現実に天才というやつはいるのでしょうか。

 

スポーツや音楽の世界と、僕が生きている世界は違うから、一概には言えないでしょう。しかし、僕の経験上、あくまでも現実の天才と呼ばれる人たちが努力を惜しまない人たちであることは確かです。

 

僕はもともと18歳で、短大の英文科に入りました。高校時代は受験勉強ができる精神状態じゃなかったため、大学に入って環境が変わるまで耐え抜いて、大学で頑張る。という選択をしました。

 

そして短大では、初めて努力することの楽しさを学びました。寝る時間が勿体無い、早く学校で英語を学びたいと毎日思っていました。しかし、肝心の英語力は話になりませんでした。もともと高校での留学経験のある友達もたくさんいました。その人たちを見て、いつもかなわないなと思ってました。

 

しかし、バックグラウンドがなんだと、とにかく必死に頑張りました。そうしていくうちに、初めは一人で頑張っていたのが、いつしか輪になっていました。自分をライバルだと言ってくれる人も現れました。そうしていくうちに、あっという間に2年が過ぎ、僕は進学しました。そして、大学3年生になった秋にアメリカに渡りました。

 

アメリカに初めて行った時に、世の中にはこんなに頭が切れて能力が高い人たちがいたのかと驚きました。世界中から奨学金をもらってアメリカの大学にやってくる人たちは、語学力、精神力、視野の広さ、謙虚さ、知識に対する貪欲さ、学ぶものとして持っているものの資質がまるで違っていました。

 

聞くとその人たちは、早い時から親元を離れて留学し、鍛えてきた人たちでした。

18歳で大学に入った時に、初めて勉強し始めた僕とは違いました。

 

その時に思ったことは、単純な尊敬の念と、あと正直少し悔しいという思いでした。僕が英語を話せるようになったのは19歳、しかし世の中には当時の僕より若くて人間としても、学ぶ者完成度の高い人たちが山ほどいる。

 

「世界を舞台に活躍する」とか、迂闊に言えなくなりました。こういう人たちを相手にしなきゃいけないのか、と考えたら自分の存在がちっぽけに思えてきました。

しかし、その人たちを「天才」と一言で片付けてしまうにはあまりにも失礼だと思いました。なぜなら、その人たちは、自分が知る限りもっとも努力家で、たくさんのことを乗り越えてきた人たちだからです。

 

だったら僕ももう自分を卑下する必要はないと思いました。自分も努力をすればきっとあの人たちのようになれると思ったからです。努力というフィールドはみんな同じだからです。しかし、それをどこに向けるかが違うだけです。

 

そして、何も僕がアメリカであった友達みんなを競争相手みたいに見る必要はないなともいました。なぜなら、みんなと僕が共通して持っていたのは、自分の能力をいつか世の中に還元したいという気持ちだからです。

みんな個性もあれば、得意なところが違う、だからみんなそれぞれの良さを活かして生きていけばいい。そして、ベクトルをぶつけるのじゃなくて、合わせて大きな一つの矢印にすればいい。

 

そうは言っても僕の努力はまだまだ足りない。学ぶものとしての心得もまだまだ。まずは精神をコントロールする方法をまずは見つけていかなきゃならない。

 

でもこれからどうなるかわからない自分の未来がとても楽しみです。

 

今日はここまで